アラゴン連合王国、カスティーリャ王国ともコローナ(王冠領)
後者は統合の具合が早くから進展し1つの議会などだが前者は言語など別々。
もうひとつグラナダ王国。
言語的統合はまだまだ。バスクはカスティーリャ王国に編入されはしてもバスク語地域はバスクとナバーロにまたがっていた。
フランスも革命までは同じような状況だったが革命で言語的な一体化が。
スペインは現在でもまだ少数言語地域が。ガリシア語地域はカスティーリャ・イ・レオン地域の一部にも。
バスク語も。
「情熱で辿る」はおかしい。どこまでを情熱で辿れるのか。多様な文化で成り立っている。
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スペイン継承戦争(1701~1714)
18世紀に入ると大きく体制を変える。
複合君主制は緩やか
スペイン・ハプスブルク家のカルロス②世が子どもの無いまま死去。フランスはルイ⑭世。その孫フィリップを後継者としてカルロス②世が指定。他方オーストリア・ハプスブルク家は。
フランスはしだいにルイ⑭世が拡大の意向を示す。
結果的にはオーストリアの候補であったカールが神聖ローマ皇帝に1711年に選出されると、彼が
1713ユトレヒト条約、1714ラシュタット条約
メノルカはジンが美味しい。
この戦争にはもう一つの側面が。フランスはアラゴン連合王国の地方特権を守ると最初は行っていたがしだいに露骨に。他方、イギリスはジェノバの密約を結んで地域特権を尊重すると言った。オーストリアのカール③世を指示することに。
スペインの統合の時期は、スペイン継承戦争の終了後に。レイノデイスパニア。
ラ・カロリーナは、南ドイツやスイスから農民を連れてくる。
その当時「独立戦争」といっていたわけではない。 「反ナポレオン戦争」など。 イギリス人は「半島戦争」。 その呼称がいつごろ生まれいつごろ定着していったかを見る必要がある。
1808-1813 領土の大半がフランスの支配下におかれる。
フェルナンド7世が廃位されてナポレオンが自分の兄をホセ1世として即位させた。
親フランス派もかなりいた。
それに対し愛国派といわれる人たち。
カディス憲法。
他方で改革そのものを否定する人たち(フェルナンド7世支持)。
ホセは愛称はぺぺなので蔑称はペピーノ。
ゴヤはかなり曖昧な態度。1814年、戦争終了後に....
カディスは防御しやすかったので唯一残った。
拠点となる都市はフランスが押さえたが、農村などは...
ゲリラの抵抗つづく。
ホセから見れば、暴徒、盗賊並み。
ゴヤの絵では、女性の勇敢な働きが描かれている。
ゴヤとその時代――別の機会に。
1810年、カディス議会が開催される。
司教の前で
1812年カディス憲法。3月19日、ホセの誕生日と同じだったので「ペパ」と呼ばれたりする。
新大陸も含めた形でスペインネーションを考えていた。
カルロス派に勝利した後は
「革命の6年」
1873年2月11日に共和制が宣言される。第一共和政はきわめて限られた政治基盤しかなかった。
キューバの独立戦争
共和国の政体の性格をめぐって対立。ピイ・イ・マルガイが第二代の大統領になるが、...
新たな社会運動として、第一インターナショナルが生まれた。それがスペインにも。
1873年憲法草案。広域の地域を想定(17の州)。カタルーニャやガリシアなどを1つのご要請単位・州として認めようとした。
しかし王政復古で、またカタルーニャはバラバラに。
永代所有財産解放。
教会などが救貧活動をする財産がなくなり、それが国家の課題となる。
1875年 アルフォンソ12世のマドリード入城
保守党と自由党の二大政党制
カシキスモ:カシーケ(市町村の政治的ボス)による集票システム
まがりなりにも安定した議会政治が実現したことを肯定的にとらえる見解も。
1898年のdisaster(災厄) 米国の装甲艦メイン号の爆発、沈没。これをきっかけにアメリカがスペインに宣戦布告。
敗北
スペインの敗北であって、カタルーニャは独立性を強める。
20世紀に入ると二大政党制ゆらぐ。
「悲劇の一週間」
フェレールの処刑
第一次世界大戦 スペインは中立的立場を維持。
1917 UGT/CNETのゼネスト弾圧
1923 プリモ・デ・リベーラの独裁
モロッコのスペイン保護領におけるアンワール事件 1万人以上もの犠牲者。
[補論]スペインと北アフリカ(モロッコ)の関係
フカガワヤスヒロという方がスペインとモロッコの武力衝突に関心をもって大著。毒ガスの使用。
プリモ・デ・リベーラの独裁は、議会制を否定。 p. 185ではコーポラティズムとして説明。
独裁が持ちこたえた理由
マンクムニタット(カタルーニャ四県連合体)の設立認可 1914年
「7つは1つである」スペイン側4県、フランス側3県。サビーノ・デ・アラーナにとっては6つ。
国民形成にあたって目に見える形のシンボル。
1929
1931/04/14 第二共和政の宣言
10講 p. 18?~
エル・スール、ミツバチのささやき、歌姫カルメーラ
ナショナルカトリシズムを基盤とするフランコ体制が残っているという見方はそぐわない
1978年憲法制定
セウタとメリーリャの問題。